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「川越遺跡」を散策じゃ!「博物館を守れ!戦国時代から武将隊タイムスリップ」レポート③ [ヒストピア島田]

2017年10月1日(日)13:10〜
午後の部、再開です!

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まずは、1階エントランスホールに集合です。



お食事に行かれていた皆さんも、集まってくれました。
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それでは、ツアーご一行様たちは「川越遺跡」に向かって出発!
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博物館 中庭で焼き菓子を販売中の「ベーカリー杵や」さんと記念撮影!
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皆さんでそぞろ歩きも楽しいな。
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「川越遺跡」とは、
「島田市博物館」から東へ続く約300mのルートは、
昭和41(1966)年に国指定の史跡になりました。
正式には「島田宿大井川川越遺跡」と言います。
江戸時代、幕府により架橋、通船を禁じられていた東海道最大の難所、
大井川は川越人足たちの手を借りなければ渡ることができず、
川越遺跡周辺は大変賑わっていました。
島田宿の川越しの拠点となったこの地は、
当時の町並みが復元・保存された江戸時代の情緒を残す
野外ミュージアム的な空間です。
島田市博物館のサイトより引用)

「川越遺跡」はこんな感じです。
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イラストの道路の左上が、先ほどまでいた「島田市博物館 本館」。
右の「島田市博物館 分館」に向かって進んでいきます。

「せぎ跡」を見つけた家康公。これは何だ?
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槍を立てられる??? どうじゃ?
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「せぎ跡」というのは、河原の石が積まれ、
溝に板を挟んで堤防の役目をしました。
この「せぎ跡」より西側は河原だったそうです。
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ここに板を渡したわけですね。(by 氏真公)
ほほう〜、ここにじゃな!?
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なるほどのう〜。

さらに先に進みます。
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「大井川 川会所」に着きました。
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「川会所」とは、
川の深さなどを測って川越しの料金を決めたり、
川札(かわふだ=切符)の販売のほか川留めや、
川開けなどを取り仕切った川役人がいた。
元禄9(1696)年に川越制度が確立されてから、
川越業務を行なってきた建物です。
現存する建物は安政3(1856)年に建てられたもので、
明治以降数回の移転を経て、昭和45(1970)年、
川会所跡の西側の現在地に復元保存されました。
川会所の中には、人をのせた連台(れんだい)などが展示してあります。
島田市博物館のサイトより引用)

さらに、氏真公が「川越」について説明してくれました。
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ツアーのお客様以外に、
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そこに居合わせた人、
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駆けつけてくれた地元の方も、
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お話を聴いてくれました。

川越制度」とは、
慶長6(1601)年、徳川家康は、
東海道に伝馬制度(てんませいど)を設け街道の整備をしました。
しかし、大井川や安倍川などには橋を架けず、徒歩での通行と定めました。
特に大井川は駿河と遠江の国境であったため、
幕府の防衛政策などにより架橋、通船が禁じられていたといわれています。
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
と馬子唄でも唄われたように、大井川は東海道最大の難所で、
増水のため川留めになると、旅人は水が引くのを何日も待つことがありました。
当初川越しの管理・統制は、島田代官や宿場役人の役目でしたが、
元禄9(1696)年に新たに川庄屋と年行事が任命され、
川越制度が確立されていきました。
年行事(ねんぎょうじ)は、川越人足を勤めた者の中から高齢者があてられ、
川越料金の徴収、帳簿の記載、人足の配置などを行いました。
川庄屋(かわしょうや)は、伝馬方の中から選ばれ、
その日の川越料金を決定するのが主な仕事でした。
島田市博物館のサイトより引用)

それでは履き物を脱いで、上がってみましょう。
そもそも、大井川に、橋を架けず、船でも渡らせず、
自分で泳いでもいけない!そんな決まりを作ったのは誰だ?
(下の写真の左から数えて3番目の人です。)
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この「川会所」は、大井川渡るための駅のようなもので、
この部屋は、チケット売り場のようなものだそうです。(by 氏真公)

「川庄屋」という役目の人がいましたが、
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武士ではないので、こちらの人形、帯刀しているのはまちがいらしいですよ。
(by 氏真公)
あらら。
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「川越料金」について
川札(切符)の値段は、毎朝待川越(まちかわごし)が水の深さと川幅を測って定め、
川会所前の高札場に当日の川札の値段を掲げてました。
水の深さは、股通(またどうし)や乳通(ちちどうし)と呼び、
股通の場合は川札1枚が四十八文。
大井川の普段の水位は二尺五寸(約76cm)で、
四尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなりました。
川越しのできる時間は、明六ッ(午前六時頃)~暮六ッ(午後六時頃)と決められており、
旅人は川会所に出向いて川札(川越札や油札ともいわれる)や台札(連台を借りるための札)を買い、
川越人足に手渡してから、人足の肩や連台に乗り川を越しました。
このような手順も、初めて旅するものにはわかりにくかったため、
「立会人」(案内人)と呼ばれる者たちが毎日川会所に詰め、
旅人たちに川越しの手引きをしました。
川札は防水のために油が染み込ませてあり、
人足は旅人より渡された川札を髷や鉢巻に結びつけ川越をおこないました。
だそうな。(島田市博物館のサイトより引用)

川越人足の話も聞きました。
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肩車(かたくま)
川越人足の肩にまたがり越します。
川札は1枚ですが、常水(水深76センチ)以上は、
手張(てばり=補助者)が一人つくので川札が2枚必要でした。

続いては、「蓮台」!
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これにどのようにして乗ったのでしょうか?
正解は…!?
信玄公にやってもらいましょう!
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このようにして乗ったんですって。

「連台越し」
(1)平連台(手すりなし)
一人乗りの場合、担ぎ手4人で川札4枚と台札1枚(川札2枚分の料金)が必要。
二人乗りの場合、担ぎ手6人で川札6枚と台札1枚が必要となります。

(2)半高欄連台(半手すり2本棒)
担ぎ手は、平連台と同じ4人で4枚の川札と台札2枚分が必要。

(3)中高欄連台(四方手すり2本棒)
担ぎ手10人、手張2人、台札12枚が必要。

さらに高貴な方はこちらです。
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(4)大高欄連台((だいこうらんれんだい:四方手すり4本棒)
担ぎ手16人から24人、手張4人に台札16枚が必要。
大名などは駕籠にのったまま川越しします。
歌川広重の絵によると、こんな感じ?
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すごいですね〜。

さらに進むと、
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「芭蕉庵」さんのところで、
お茶屋さんが、武将たちにお茶を振る舞ってくださいました。
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あ〜、島田茶がうまいっ!

それからそれから、
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お〜!「戦国武将めし」を売っておるぞ!
先ほどは美味しゅうございました。(by 忍ぱらぽん)

今度は「札場」でございます。
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一日の川越しが終了すると、
それぞれの番宿(ばんやど=人足の待機場所)で、
各組の陸取り(おかとり)などが人足の川札を回収し、
札場で現金に替えて人足たちに賃金として分配していました。
現在は建物の一部が体験学習の場として利用され「機織り」の体験ができます。
島田市博物館のサイトより引用)
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その向かい側では、発掘調査中でした。
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先ほどの「川会所」。江戸時代は、この地にあったようです。
現在調査中で、その当時の片鱗が何が発見されるか!?
楽しみですね〜。

続いて「仲間の宿」
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陸取り(おかどり=現役を引退した川越人足など)などの詰所であり、
会合や親睦の場としても利用されていたと言われています。
現在は、復元された権三わらじを展示しています。
権三わらじとは、人足が履いた川越用のわらじです。
島田市博物館のサイトより引用)
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写真のこの水路、意外と流れが速かったです。
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おやおや〜、どなたかいらっしゃる?
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こちらは「三番宿」
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川越人足の詰所。川越人足は一から十までの組に分けられ、
各番宿にて待機していました。
現在は三番宿、十番宿を公開しています。
島田市博物館のサイトより引用)
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「島田市博物館 分館」に着きました。
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こちらでは演舞を披露なさいます。
続きをお楽しみに〜。
続きは、こちら。
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