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2019.0518(土)トークショー「牧野宗則(むねのり) 北斎を語る」@「和食処一祥庵」 [和食処一祥庵]

2019年5月18日(土)藤枝市岡部町の
「大旅籠柏屋」内の「和食処一祥庵」です。

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この日15:00〜 ここで行われたのは、こちら。
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静岡市出身の木版画作家「牧野宗則(むねのり)」さんのトークショー
「牧野むねのり 北斎を語る」です。

まずは、女将さんのご挨拶。
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「牧野宗則さんをご紹介します。」
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女将さんが、今回のトークショーが行われるようになった経緯を紹介。
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日本を代表する木版画作家の「牧野宗則」さんをお招きして、
お話を聴けるなんて、すごいことですよね。
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このトークショーが急に決まったので、予定が合わなくて
来られなくて残念がっている方も多かったのだそうです。
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「それでは、先生よろしくお願い致します。」
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牧野先生の原点は、「北斎」なんだそう。
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中学生の頃、北斎の「富嶽三十六景」、広重の「東海道五十三次」など、
画集を見て、どんなふうにできているのか? 浮世絵に興味を持つ。
古本屋で浮世絵の本を買い、
・木版で摺っていること
・木版の手仕事、技術の凄さ
を知り、魅力を感じた。
当時、松坂屋で浮世絵版画の摺りの実演があり、
城内中学校に通っていた中学生の牧野先生は、
毎日、摺りの見学に通ったのだそう。
中学生が毎日来るので、摺師さんも興味を持ち、
後半には、摺り合わせの体験をさせてくれた。
刷毛、絵の具、バレンなど、道具に触らせてもらって、
夢のような世界だったと。
その後、その摺師さんの工房に泊まりがけで見学に行くようになる。
夏休み、冬休み、春休みに、10日くらい、
職人さんと一緒に寝泊まりして、摺りの仕事の指導を受ける。
高校生の間も続け、道具も揃えていった。
浮世絵に実践から入ったことで
自分で、浮世絵の複製ができるようになった。

浮世絵は商業出版の中の一部で、版元さんの下で行うもの。
絵師、彫師、摺師、共に出版者に雇われるものであった。
絵師が描いた下絵を、裏側にして板に貼り、彫師が彫る。
硬い山桜の材と、強靭な繊維の和紙があったからこそできた芸術作品。
北斎の画業は浮世絵、錦絵、役者絵、美人画、風景画など、多岐にわたる。

「葛飾北斎」
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「凱風快晴」

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「山下白雨」

富士講などの流行もあり、富士山の絵は人気があった。
版元が誰に富士山を描かせるか?
北斎の富士は人気があったが、本人が描くのは 下絵だけ。
版は、5〜6枚、10色くらい。
色分解するのは版元さんと彫師の仕事。
彫りの見せ場を考える。
色彩は摺師との相談。
最終的には、版元が決める。
北斎といえども、思い通りではなく、職人の手を借りるしかなかった。
摺手が変わると作品も変わる。
下絵を描くだけだから、多作も可能だった。
3万点とも言われる。
北斎は、「70歳前の作品は取るに足りない」と話していた。
「90歳ともなると奥義を極め、
100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。」とも。
北斎は、死ぬまで現役で、森羅万象を描きたいと。
その気迫が凄い。

牧野先生は、風景版画家として、下絵から、彫り、摺りまで、
全て一人で行う。
彫ることと摺ることは、技術がないとできない。
職人から習って、全てができる牧野先生について、
「浮世絵太田記念美術館」の永田生慈先生は、
同館での「牧野宗則木版画展」の副題に
「Beyond Hokusai and Hirosige」と紹介した。

北斎は、のちに肉筆画を描くようになる。
絵描きとしても、超一流。天性の才覚。
その北斎の後を37歳違いの広重が追い、
彼らの浮世絵が、陶器の包み紙として西洋に渡り、
ゴッホやモネなど印象派の画家に影響を与える。
北斎とモネ、80歳差。
モネと牧野先生は、100歳差。

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2019年4月15日に火災に見舞われたパリの「ノートルダム大聖堂」。
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牧野先生は、1991年に「祈り」という作品で、
大聖堂を正面から描いている。
浮世絵にあこがれた印象派の画家「モネ」の
「ルーアン大聖堂」のシリーズは代表作。
それに対峙して、大聖堂を正面から描く。
寺院の持っている荘厳な美しさ。
日本人の感覚で、慈愛に満ちた美しさ、精神的深さ、
祈り、愛を吐露できる大聖堂を描きたかった。
モネは色彩と光の移ろいを自然科学の目で描く。
印象派モネと対話、キャッチボールしながら、
日本の浮世絵版画がその後もまだ発展していることを伝えたい。
雲母(キラ)を膠で溶いて、質感は刷毛目で、
浮世絵版画を代表する和群青、雲母(キラ)刷りを用いて
荘厳な光に包まれた大聖堂の作品が生まれた。
日本の色を選び抜き、日本人が大聖堂に寄せる
モネと対話した作品になった。

牧野先生のお話は、澱みなく溢れていました。
本当に皆さん、聴き入っていました。
ここで、ちょっとブレイクタイム。
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ケーキとドリンクでひと休み。
後半もお話は続きました。

最後に記念撮影。
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本当に素晴らしいひとときでした。
江戸末期の蔵も喜んでいたように思いました。
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以前、伊勢丹での展示を拝見した時の記事は、こちら
まさか、直接お会いできる日が来ようとは!
感動の午後でした。
この日、先生が話されたこと全てではないですが、
来たくても来られなかった方々のために、
少し記録させていただきました。
このお話を伺って、ブロックス・アートが生まれた理由と、
牧野先生の思いが、より分かった気がしました。
牧野先生、ありがとうございました。
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